体験談

性同一性障害(元男子)の私の生い立ち

こんにちは。たちばなです。

今回は、私の性別にフォーカスして、生い立ちを書きたいと思います。

幼少期

私は、元気な男の子として生まれました。

しかし、物心ついた頃から、私は女の子のおもちゃばかりで遊んでいました。
出来る友達も女の子ばかり。
それでも、幼稚園に入る前は楽しく暮らしていたように思います。

幼稚園に入ると、周りとの差はどんどん大きくなっていました。
女の子のお友達しかできない。
遊びも、おままごとだとか、女の子の遊びばかり。
好きなものは、セーラームーン。
仕草も女の子っぽかったのだと思います。

男の子には、「オカマ」とバカにされていました。

当時は、テレビでも「オカマ」という言葉がもてはやされ、
からかう対象として扱われていたような時代でした。

そして、自分自身でも、
「ああ、自分は、オカマ、ニューハーフと呼ばれるような人種なんだ」
という事をはっきりと認識していました。

体が男なのに、心は女。

もう、自分自身のことを理解していました。

小学生

小学生に上がると、ますます周囲からはバカにされるようになりました。
それでも、低学年のうちはなんとかやっていけました。
勉強ができたため、学校内での地位は確立できていたのです。

勉強が出来る、女っぽい男の子。
そんな風に思われていたと思います。

それでも、やはりバカにされる時もありました。
男の子や、親戚などに、
「もっと男らしくしろ」と言われる時もありました。

もっと男らしくしなきゃいけない。
普通の男の子にならなきゃ…

そんな風に思い始めました。

そして、小学4年生の時。
部活が始まりました。

私は、兄と同じ、野球部に入ることにしたのです。
兄の真似をすれば、きっと私も同じように男の子になれる。
そして、周囲が喜ぶ。
そんな風に考えたのです。

ですが、本当に野球に興味がありません。
毎日の部活が苦痛で苦痛でたまりませんでした。
でも、普通の男の子を演じようとずっと頑張っていました。

そんな日々を過ごすうちに、私は、死にたいと思うようになりました。

そんなに考えるのなら、部活なんかやめてしまえば良いと思います。
でも、私は、やめてしまったら、みんなががっかりする、
普通の男の子になれない、やめたら負けなんだ…
そんな風に考えていたのです。

結局、心を殺しながら、小学6年生まで野球部に在籍しました。
我慢、我慢の日々でした。
引退の時は、開放感でとてもとても嬉しかったのを覚えています。

また、小学校の後半では、授業での態度が荒れていました。
話は聞かない、友達とおしゃべりばかりする。
私は、「勉強はできるけど、問題児」になっていました。
心を押し殺すことで、歪みが出てしまったのだと思います。

中学生

中学生に入ると、私にとって大きな問題となるものが現れました。

学ランです。

着たくもないのに、肩幅を広げられ、「ザ・男!」という服を着せられるのは、
嫌で嫌でたまりませんでした。

それでも、吹奏楽部に入り、
女子ばかりの部活で、のびのびと生活することが出来ていました。

女の子っぽくても構わない。
別に、それでいいのだと。
周りも認めてくれるし、このままでいいのだと思いながら日々を過ごしていました。

しかし、中学二年生の頃。
急に背丈が伸び始めました。
そして、声が低くなり始めました。

私は、やばい、何かがおかしいと感じるようになりました。

自分に起こるはずのないことが起きている。

そう感じたのです。

できるだけ声を高くしようとしました。
友達と行くカラオケでは高い歌ばかり歌うようにしました。
よく声を枯らしました。

中学3年生になると、声変わりは進む一方。
それでも高い声を出そうとし続けました。
「誰か助けて!」
そう思いながら日々を過ごしていました。

もう耐えられない。
声が低くなるなんてありえない。

死にたい。

そう思うようになりました。

初めは、自分が大人になりたくないから、そう思うのだと自分に言い聞かせていました。
ですが、声が変わっていく日々の中で、ついに自分に嘘はつけなくなりました。

自分は、男にはなれない…

また、ある日、お風呂場で鏡を見ました。
肩幅が広がっていました。
まごうことなく、「男の子」がそこに居ました。

自分が自分でなくなる。
男になる。

それは、言葉に言い表せないほどの苦痛でした。

毎日毎日、死を考えていました。

その頃から、私はインターネットで似たような境遇の人を探すようになりました。

「性同一性障害」。
その言葉を知りました。

私は、これだとわかりました。

たくさんのサイトを読み漁りました。

そして、「女性ホルモン」の存在を知ったのです。
これしか無いと思いました。

当時はまだ、法的に性同一性障害の治療などが認められていませんでした。
でも、どうしても女性ホルモンを飲まないと、体がどんどん男になってしまう…。

私は、無我夢中で情報を読み漁りました。

そして、「個人輸入」というものを知ったのです。

買うことができる。
でも、副作用で死ぬかもしれない…。

どうすればいいか、悩みました。

ですが、このまま生きていても、私は死ぬだろうと思いました。
そのぐらい、追い詰められていたのです。

薬を飲んで生きるか、それとも死ぬか。

その二択しか無いと思いました。

結局、私は、生きる方を選びました。

インターネットで、お小遣いを使って、なんとか、購入しました。
郵便局留めにしたんだと思います。家族にばれないように、工夫しました。

そして、15才の誕生日に飲み始めようと決めました。

結局、耐えきれず、15才の誕生日の1週間前から飲み始めました。

これで声が変わる心配は薄れる…

少し気持ちが楽になりました。

見た目も、少しずつ変わっていって、
卒業する頃には、
「あれ、一瞬女の子かと思った」
と先生に言われるほどになりました。

そして、そのまま卒業を迎えました。

(↓女性ホルモンの効果についてはこちら)

【性同一性障害】女性ホルモンの効果こんにちは。たちばなです。 今回は、女性ホルモンを服用したことによる変化を書きたいと思います。 服用量 私は、15歳くらいから...

高校生

高校生になると、私は「可愛い男子」として評判になりました。
それはそうでしょう。女性ホルモンを服用しているのですから。

しかしながら、私のうつ状態は晴れないままでした。
相変わらず、学ランを着せられていたためというのもあります。

このまま一生、男子として生きていかなければならない。

それに、絶望していました。

私は、勉強ばかりの毎日を送ることになりました。
性別の問題から、目をそらしたくて、勉強に逃げました。

それでも、やはり、苦痛は取れませんでした。

男子として生きていくことに、限界を感じていました。

高校2年生の頃、修学旅行がありましたが、
私は担任に「行きません」とだけ伝え、行かないことにしました。
男子と一緒にお風呂に入ることなど、無理だと思ったのです。

体育は、全部サボるようになりました。
男女で分けられる授業は、もう無理だと感じていました。

そんな、高校2年のある日。

母に、薬のことがバレました。
いつも薬をしまっていたかばんを、母が開けたのです。

きれいになっていく私を見て、女性ホルモンを飲んでいるのではないかと
薄々感じ取っていたようです。
膨らんでいるかばんを見て、ピンときて、開けたようです。

そして、母に、強制的にカミングアウトさせられました。
私は、性同一性障害であると。
泣かれましたが、母は理解してくれました。

私は、父には言わないようにと言いました。
父は理解してくれないだろうと思っていたからです。

そのまま、高校3年生になりました。

うつ状態は治らないままでした。

大学生

高校卒業後、私は、地元から遠く離れた私大に通うことになりました。

もうその頃には、見た目はほぼ、完全に女の子になっていました。

そのため、大学では、入学時から目立ってしまいました。

「可愛い男子」ということで、大学の周りの人たちからは奇異の目で見られました。

男子として生きていくことは、内面的にも、社会的にも、かなり限界だと感じました。

また、このままいけば、サラリーマンになるしかない。
背広を着て、男子として、生きていかなければならない…

それは、もう無理だと思いました。

どうにかして、生きていかなければならない…

私は、一旦大学を辞め、実家に帰ろうと思いました。

父親に手紙を書き、全てをカミングアウトしました。

なかなか、理解はされませんでしたが、
結局、実家に帰ることにしました。

私は、再び受験勉強をし、別の大学に入学することになりました。

今度は、資格を取って自立できるような大学を選びました。
資格さえ取れば、就職せずに、開業するなりして、
なんとか生きていける…そう考えたのです。

そして、2度目の入学。

しかしながら…

やはり、目立ってしまいました。

「名前が男の子で、見た目が女の子だよね?」
ということで、教授に呼ばれました。

「あなたは性同一性障害なのではないか?」

全てバレていました。

そして、

「通称名で学校に通っても良いよ。」

という風に言われたのです。

私は、名前を変えて、女性として学校に通うことになりました。

突然、普通の女子学生になったのです。

名前が急に変わったことに、他の生徒は気づいたのか気づいてないのかわかりませんでしたが…

とりあえず、大学では、サークルに入ったり、普通に単位をとったりして、
普通の学生生活を送りました。

病院にも通い始め、ホルモンは病院で処方してもらえるようになりました。

そして、大学1年の終わりの春休み。

ついに、手術を受けることになりました。

(↓手術の体験記はこちら)

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戸籍も変え、私は、普通に女性として生きることになりました。

こうなると、大学は、女性として自立して生きるために、
資格を得るために通っていたはずなのに、
通う意味がわからなくなってしまいました。

私は、自分を見失いながら、数年間、大学生活を過ごしました。

そして大学4年生になった時。
詳しくは書けませんが、専門学校に並行して通うことにしました。

自分の好きな道で生きようと思ったのです。

ようやく、自分と向き合い、性別にとらわれない人生が始まろうとしていました。

その後

大学を卒業した後は、好きなことをしながら、なんとか生きていくことになりました。

今は、普通に、女性として暮らしています。

性別で苦しんでいた頃の時代が、嘘のようです。

「普通」のありがたみを感じて、日々、生きています。

日常のこまごまとしたことや、様々な体験記など、
このブログに綴っていこうと思っています。

良ければ、お付き合いいただけると嬉しいです。

それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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